人間の声

私がここに、語ろうとすることも、あの小さな声の一つにすぎないのかもしれません。
しかし、すべてを盗まれた底においてさえ、忘却を押しかえす小さな声は、沈黙と同じではありません。
私は針のようなあの声を聞かずにいられないし、私の身体のあちこちにも穴があいて、叫びと化すのを隠しておくことができません。
私はあの人間の声に従い、暗闇に次の飛び石をおこうとしています。
この一連の飛び石の配置は、その前に人間が滅んでしまわなければ、我々を、否定のないどこでもない所へと、連れていくでしょう。
激しい風の跳躍が、徴しをつけるところへ、私は手を差しのべています。

2021年10月 松下真理子

 

 

 

愛の飾らぬことばにおいて

 

 

絵を描いている。迷いがある。何がどうなれば絵というものになるのか、いや、絵じゃなくて、そこに誰かがいてくれるようになるのか、分からない。

深い、臭い、鍋をかき回しているみたいだ、暗い下水道をさまよってるみたい、腰まで冷たい泥に浸かって。

右手のボロ布が冷たい。絵の具でどぼどぼに濡れて冷えてきた。

眼の中の自分は、地下の、下水道の中を歩いている。絵を?探している。汚水をかき分けている。重たいものが絡みつく。声を出そうとするが、呼ぶべき名前がない。眼や、耳や、ばらばらになった手足が、この辺りに沈んでいてもおかしくないが、すごく暗くて、絡みつく重たいもののどれが何なのか、分からない。

濁った汚水の中に火の輪が浮かび上がる。なんて色をしてるのだろう。

青くて、透きとおって、蠢いている。

風呂場のドアに立てかけた絵を見る。まだできていない。意識を常に引っ張る。草の種みたいだ。チクチクする。何をどうすればきみの望むようになるのか、分からない、また夜に。

行ってきます。絵たちをそれぞれ見て、ドアを閉める。

 

私は逃げ帰る。

ドアをバタンと閉める。立てかけたキャンバスでどんどん狭くなる空間に体をねじ込む。油絵の具の匂い。暗がりに眼がキョロキョロ動き、ぐるりと振り返る。

“オカエリ!”

今日は大変だった、辛かった。私は工場でいかに侮辱されたか、腹の立つ、悔しくて情けないことをべらべら喋る。喋っているうちに涙が滲んでくる。絵の具は赤。赤色を塗ると気分が高揚する。しくしく泣いてるんじゃない、赤色を塗るんだ、とにかく全部に、真っ赤に。ぬるぬるした油絵の具は光っていて、今何を描いているのか正確には分からない。ピカピカに反射してる。ベラスケスやベイコンもこんな絵の具を見たのだろうか、完成する前のまだ生き血のような絵の具、こっちが絵画の正体なんだろう、乾いた骨みたいなものじゃなく、完全に生き物みたいな、巨大な動物の性器に、腕や頭を突っ込んで、中から見たこともない胎児を引きずりだす。

気がつくと両手が真っ赤に汚れている。鏡の中の顔つきが変わっている。

起きると、まだ青暗い。ガスコンロの青い火の輪が心に深く突き刺さる。

毎日これを見ている。部屋の中で唯一動く。影をつくり、触れることができない。

絵たちをそれぞれ見る。行ってきます。

雪の日は自転車を引きずって工場へたどり着く。工場は不滅で、蒸気で火傷した人をどんどん飲み込んでいる。

 

休日、私は本を読む。絵と同様に、人生もわけが分からない。どちらの道を曲がり、どこへ行けば、何があるのか、全く分からない。私は小さな松明を手にした。絵を描くという、頼りない小さな灯りだ。

これをともかく絶やさないよう燃やしていれば、きっと洞窟から出られる。松明の煙や、匂いも、誰かが嗅ぎつけるかもしれない。

机を入れ、絵の作業場所に改造した台所の中心に、絵画の松明の、一瞬先には消えてしまうかもしれない灯りを立て、オキーフの伝記のページを繰る。

ニューメキシコの落雷を、屋根の上から一緒に眺める。私は粉だらけの工場の制服を着て、恥じ入っている。

オキーフはたった一つのことを私にいう。

“あなたのよく知っているものを描きなさい”

 

絵を描いている。迷いがある。何を描いているのか、どこをどうしようとしているのか、分からない。

バチバチ火花を散らしている、松明を頭上に、汚水をかき分けている。この辺りに、眼や、耳や、ばらばらになった手足があるのかもしれない。動物が食って持ち去ってしまったのだとしたら、そのゴワゴワの毛でも、糞でも、一瞬の鳴き声でも、見つけなければならない。なんだってこんなことしてるのだろう。外へ遊びに行けばいいのに。

急に、未来に見るカンボジアの青苦しい空を思い出す。青が濃すぎて、重たく激しく、雲ひとつない落ちてしまいそうな青空。

頭がおかしくなりそうな日は、ダイアン・アーバスの伝記を読む。

頭がおかしくなりそうなことと、実際に頭がどうかなって、一線を越えてしまうことは別のことなのだ。

 

へとへとになって家に帰る。ドアを開ける。暗がりにキョロキョロ眼が動き回る。ぐるりと振り返る。

“オカエリ!”

銀色の絵の具のチューブが弾丸みたいにいっぱい転がってる。絵たちは軍隊みたいに勢揃いし、どこを見ても視線が返ってくる。部屋の結界は強靭だ。私は今日あったことを話す。

悪くないんだよ、家がブタ小屋だって噂されてるおじさんが、色々教えてくれる。その人だけがいい人だよ。

ここから出ようね、私が必ず洞窟に穴をあけるよ、そしていつでもかえって来られるようにしよう。 

 

                                     2020/12/9  松下まり子

 

 

「ジョージア・オキーフ 崇高なるアメリカ精神の肖像」ローリー・ライル著

「肉への慈悲 フランシス・ベイコン・インタヴュー」 デイヴィッド・シルヴェスター著

「炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス」 パトリシア・ボズワース著

「チェルノブイリの祈り」 スベトラーナ・アレクシェーヴィチ著

 

 

 

Anökumene—Land exiled as uninhabitable

In the fall of 2019, I finished my second trip to Europe and resumed working on oil paintings. The trip, including the Auschwitz-Birkenau State Museum in Poland, made me feel sombre to the point of almost becoming misanthropic. I've always been like a kid trying to see people's bare backsides, but I was still aghast at the huge desolate site of the concentration camp and the small ghosts who appeared in the simply remodeled apartment inn in Krakow.

I drew a lot of drawings during the trip, so it wasn't difficult to move to oil painting. Like I always do, I jumped from the cliff into the abyss, entering the cave at the bottom of my consciousness, and pulling up something whispering out of the dirt. (We cannot remain intact when we bring the invisible into view and touch.)

In 2020, the world gradually became the world of the dead. I felt as if hundreds of thousands of dead souls were floating in the warm spring air, and it wasn't such an unpleasant world to me. I was withdrawn to my room and confronted with my paintings. Like thorns as huge as daggers, unsettling news and aggressive remarks tore my studio into pieces. One day, I felt the world completely reverse. After long rains, the sky shined silverly, the vines unfurled to new heights, and the energy of nature swelled as to burst...

At first I felt a void—'the nothing' and after a while that desert-like incandescent void grew. The air, the brightness, and the light all swelled, filling all space, until like an egg cracking from the inside, I was squeezed out into the glittering noon without a shadow.

The shadowless midday glare seemed to be a surface of persistently painted primary oil color. This glare was focused on everything that could be seen, and everything was ignited and engulfed in tranquility. The verdant and drooping sky fell, and was hung upside down in heaven and on earth, where it seemed likely to crash from my head and be sucked out of my eyes. Then the streets filled with light. The space that wasn't normally there swelled into the back alleys, and small invisible things were playing in the vacant lots of light. There were no shadows, no appearances, and the hollows, filled with light, were playing.

It seemed to be in the realm of the mind, isolated from the physical world, but through the days and weeks I returned to my original state, like returning to my shadow. I'm back, but feel like I'm in another Tokyo that has somehow been shifted since that bright and shiny day in the land without shadows, that was rejected by the rational idea of success and denied as uninhabitable.

From this, my painting has likewise become brighter. The amount of despair in the world hasn't diminished, but with Tokyo now out of alignment, I feel like someone has suggested that there's no need to mind whether pain, despair, hatred, and death are portrayed in sparkling pink or yellow.

September 2nd, 2020

Mariko Matsushita

 

  

 

居住不可能として追放された土地

 

2019年の秋、私は2度目のヨーロッパの旅を終えて、油絵の制作を再開した。ポーランドのアウシュヴィッツ博物館を含む旅だったため、私はかなり深刻な、人間不信に近い気持ちになっていた。私は昔から人間の裏の顔を、剥き出しの側面を見ようとする子供だったが、それでも強制収容所跡地で見た荒涼とした広さと、クラクフのアパートを改造しただけの宿にやってきた小さな幽霊とに、ショックを受けていた。

 

旅行中たくさんのドローイングを描いていたので、油絵に移行するのは難しくなかった。いつものように、崖から奈落に飛び込むようにして、意識の底の洞窟まで行って、何か囁いているものを汚穢の中からひっぱり上げてくる。(目に見えないものを、見え触れられるものにするとき、我々は無傷ではいられない)

 

2020年になり、世界はだんだんと死者の世界になっていった。春の生温かい空気の中に死者の魂が何十万個も浮き上がっているように感じた。それはそんなに嫌な世界ではなく、私は引きこもって絵を描いていた。

不穏なニュースや攻撃的な言葉が、短剣ほどもある棘のようになって作業場所の空間を引き裂こうとしていた。雨続きの空が銀色に輝き、蔓草が背丈よりも巻き上がり、自然の力が膨らみに膨らんだある日を境に、私は世界がすっかり反転してしまうのを感じた。

無というか、何もない感じがしてきて、もう少しすると、砂漠のような白熱の、何もない虚無のほうが突出してきて、何もなさが隙間なく膨らむような、空気やあかるさや光がべったりと膨らんできて、内側から卵が割れるように、影のないあかあかとした正午に圧しだされてしまった。

 

影のない真っ昼間の眩しさは、原色の油絵の具を隅々までしつこく塗りこめたようで、見えるものすべてに焦点が合い、見えるものすべてが発火していて、静かだ。空は穴のように青々と落ちこみ、頭から墜落しそうな、眼玉から吸い出されてしまいそうな天地に、逆さまに吊り下げられていた。通りは光で満たされていて、普段そこになかった空間が路地裏に膨らみ、光の溜まった空き地に見えない小さなものが遊んでいる。影もなく、貌もなく、光でいっぱいの虚ろが遊んでいる。

 

それはたぶん心の世界で、物の世界と遊離してしまったようだったが、何日か、何週間か経つうちに、影が重なるようにしてもとに戻った。戻ったのだが、私は少しだけスライドした別の東京にいるような気がしている。あのあかるいピカピカした日を境界に、成功という合理的な考えが拒絶した地、居住不可能として否定し追放した土地が、影のように混ざった場所に。

 

絵はそれで、おんなじように明るくなった。世界の絶望の量は減っていないのだけど、少しズレた東京で私は、痛みや絶望や憎しみや死のほうへ突き出されている存在を描く方法が、煌々としたキイロやピンクでも構わないのだと誰かに示唆されたような気でいる。

 

2020,9,個展に際して

 

 

 

 

Dear all,

I wonder when this letter will be read.

To all at this moment and in the future. And to myself in the future.

This exhibition’s a bit special. I hold in my heart, a certain scene that words cannot portray. Born in this world and gradually coming clear, how many times did we hear the winds blow? How much has the sun's heat warmed your back? When you held the stone in your coat’s pocket, did it give you the courage about your destination?

I believe that I will continue to create Red Room, again and again. In various cities in different countries. On a narrow street, in an old house, in an abandoned hut.

It is a pure red window that the sun shines through. A small window, like a drip of a child’s blood, a pain at the bottom of a memory, and the quake of your heart when you are in love. It appears and disappears, reappears and disappears again, somewhere in the world. As if it were a flicker of light, like our own human lives.

And every time I leave this room, I feel as if I was just born. I feel astonished, amazed, and sad, as I if I’d known for the first time. Beauty could be frightening. The world is made of blue and green. The earth is brick-colored, and we are walking on the bottom of the atmosphere.

 

April, 2019

 

 

 

皆さまへ

 

 

この手紙はいつ読まれているでしょう。

 

現在の、未来の皆さまへ。未来の自分へ。

 

 

 

今回は少し特別な展示です。言葉にすることが叶わないような、ある光景を、私は胸に抱いています。この世に生まれて、それからだんだんと目を覚まし、私たちはどれくらいの風の音を聞いたでしょうか。どれほどの太陽の熱で背中をあたためたでしょうか。コートのポケットで石は、あなたの行き先について勇気をくれたでしょうか。

 

 

 

「赤い部屋」という作品を私はこれからも何度も作ると思うのです。色々な国の色々な街で。狭い路地で、古い家屋で、打ち捨てられた小屋で。

 

 

 

それは太陽を透かして光る純粋な赤い窓です。一滴の子供の血のような、記憶の底の痛みのような、恋をするときの激しい動揺のような、小さな窓です。

 

それは世界のどこかに現れては消え、現れては消えていきます。それはあたかも電球の明滅のように、私たち自身の命のように。

 

 

 

そしてこの部屋から出ていくとき、私は毎回、今、生まれ落ちたように感じます。今、初めて知ったように驚愕し、あきれ、震えるように悲しく思います。美しいことと恐ろしいことは同じことなのです。世界は青と緑でできています。大地はレンガ色で、私たちは大気の底を歩いています。

 

 

 2019,04 個展 "Oasis" に際して

 

 

喫茶店や電車の中、私は自分の意識の底へとダイブするように小さな絵を描いています。

この没入は、辛かったことや悲しかったことも含めて、なぜ私は私なのか? なぜ、あなたはあなたなのか? その問いを忘れないための小さな抵抗のように感じます。

私は傷 Scar によって自分自身を忘れずにいるのですが、その傷を作る原因となった社会の歪みについては、抵抗し続けなければなりません。

さもなくば、私は(私たちは)、上手く麻痺させられ、何度も自分自身を失い、二度め三度めの死を押し付けられてしまいます。

ほんの小さな絵にも私自身の時間をスライスするように、誰かのそばにいるための直接的な生命をチラチラと燃やしていたいです。

 

 2018,08,24 個展 "Silent Resistance to Oblivion" に際して

 

 

最初から違ってた

私の周りだけ小さい戦争が起こってた 

銀色の弾丸の雨

 

 2017,01,31

 

 

私はただ真っ暗闇で燃えている松明のようになりたい

肌を焼き、髪を燃やす綺麗な火のようになりたい

世界はどろどろで暗く私は根が生えたように拘束されていたが、光がそれらを鏡のように照らした

私は懸命に呼吸していたい

 

 2016,10,06

 

 

生きれるだけ生きようと思うの
芸術はイカロスの翼
飛べば飛ぶほど、太陽が私を殺しに来る
それでも私は海の切れ落ちる辺りまで飛んで、その恐ろしさに心臓を摑まれたい
真っ黒な滝となった海が落ちていく奈落の、一瞬の冷たさに串刺しになりたいの

 

 

2016,9,23 CAFAA賞受賞に際して

 

 

子供の頃、私は友だちがたくさんいた

それは本と映画だった

 

頭の中の世界はすごく広くて、何時間そっちの世界にいても退屈しなかった

寂しいと思ったことがなく、人間の友だちが必要だと感じたこともなかった

 

2016,9,21

 

 

心がいつも都会の光を映しまくってる黒いピカピカした水溜りみたいだったらいいな

 

2016,7,30

 

 

骸骨みたいな体で、少女みたいに透き通ったまっすぐな声

何か拒絶してる

大きな目で跳ね返してる

 

圧倒的な純粋さ

濁らないこと、淀まないこと

そして邪悪なこと

 

2016,6,8

 

 

無目的に息するみたいに美しいものを編み出したい

指先から何もしないでも美が垂れ流しになってたい

ナメクジが這うとそこにテラテラした色の帯が残るみたいに

 

2016,6,7

 

 

絵の具は排泄に似てる、嘔吐に似てる

溶けた宝石

 

2016,6,5

 

 

なんで私、私なのか?

 

2016,2,2

 

 

私は イメージというどこにでも行けるかたちになって いつもきみのそばにいる

 

2015,10,31

 

 

井戸の底で助けてって叫ぶと、真っ暗な穴の端から手をさしのべてくれるのはわたしなの

わたしはわたしの暗闇に手をさしのべる

わたしはわたしの腕をつかむ

井戸は逆さまになってどっちが上かわからなくなる

 

2015,9,15

 

 

私は窒息して生まれた

母親のへその緒がからまっていて、あと数分遅かったら死んでいたと医者に告げられたそうだ

それを聞いたとき、私は生まれるときから母親に殺されかけたのだと思った

母親はとても怖かったから

 

私は、真理子、という名前を付けられたが、男の子の格好をして育てられた

学校では少しいじめられた

ときどき痴漢に合い、痴漢はいつも大人の男だった

頭が混乱し、わたしやぼくといった一人称を選択することができなくなった

話したくても、話せないので、多くの時間を一人で過ごした

 

スカートを初めてはいたのは、13歳のとき

中学校の制服だ

自分のスカートはまだ持っていなかったけど、異様な感覚がした

その感じは自分の名前を書くときにも起こった

真理子

「真理を述べる子、ほんとうのことを言う子」という意味で名付けられたそうだ

 

今でも奇妙な感じがする

私の中に小さいマリコちゃんがいる

彼女は混乱している

ずっと

 

2015,8,31

 

 

ニンフォマニアック

手を伸ばして、私のやり方で現実とセックスする

時間の粘膜の中に入って心臓をどきどきさせる

 

時間の粘膜の中をペニスみたいになって進んでいく

出たり、入ったり、出たり、入ったり

 

絵は一瞬にしてできる

一瞬で射精してしまうみたいに

 

きみの静かな生を私が一番高い温度で原爆みたいに焼き付けてあげる

 

私は人間関係を壊しやすい

現れて消えていく人を原爆みたいに焼き付ける

 

「壁」はなくなるかもしれない

それは「時間の粘膜」という穴/トンネルになる

 

2015,7,2

言いたいことがある、言葉がない、言いたいことを言うための言語がない

動物は吠える、毛を逆立てる

私は苦しい、叫びたい、声がない、耳がない、目がない、閉じた皮袋、もがく、手足がない、溶ける、その感じは何かに似ている、井戸の中の死体、蠅の友達、見上げる目の玉、十円玉みたいな青空

 

2015,6,21

私は吠えたりない犬

歯が痒くて白目をむいてヨダレを垂らしてる

私は吠えたりない犬

 

2015,6,21

ゴダールの「さらば、愛の言葉よ」を観た

誰かの記憶をそのまま見ているような断片的な映像の羅列だった

 

私は自分の絵を1枚持っていて、流されていないトイレに2回遭遇した

 

2015,4,14

みんなが嘘を吐いているのだと私には分かる

何もかもが憎い

何もかもが嘘を吐いている

私は利用される、それは友達や恋人の顔をしてやってくる

嘘吐きばっかり

 

2014,12,23

可愛い汚い悪魔の心

おこさないで階段くらかった髪の毛の魔、手触りの魔

内側から光る顔

とくに真っ白な歯

 

2013,11,16

 

言葉は鳴き声の一つだと思う

 

2013,11,14

飼い主の帰ってこない猫は黒い

 

不幸な家族はばらばらになり

不幸な飯を不幸に食べる

不幸なふたりははなればなれになり

不幸な飯を不幸に食べる

憎しみを噛み締め思い出を粉砕し

目を真っ赤に燃え上がらせて

まずい飯を一人で飲み込む

 

忙しいので自転車で通勤しながら泣く

忙しいので自転車で帰宅しながら泣く

立ったまま泣き、一行だけの詩を書く

貪り食うパンは固く塩味しかしない

 

2013,5,5

 

 

 

 

 

Mariko Matsushita

 

松下真理子

 

1980年 日本の大阪府吹田に生まれる。

幼少期、最初の表現は、性的暴力からの治癒と理解のために書きはじめた無数の詩だった。

精神的な模索と“外付けの蛇口”を求め、芸術を志す。

2004年 京都市立芸術大学美術学部油画専攻を卒業。

 

工場での労働の傍ら独自の絵画表現を再開し、2016年《Margarita7》をはじめとする作品群で、第二回CAFFA賞(CAF・アーティスト・アワード)グランプリを受賞する。

 

翌年、ロンドンにてデルフィナ財団のレジデンスに滞在し、インド、ペルー、韓国、サウジアラビアなどの女性芸術家たちと親交を結ぶ。のちにアウシュヴィッツ、フィリピンの「赤い家」などを訪れ、絵画を制作する。

 

2020年 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチに影響を受けた「愛の飾らぬ言葉において」、2021年J.M.クッツェーの著書から名付けた《Friday》を含む「人間の声」を発表し、重要な転換期を迎える。

      


Mariko Matsushita
Born in Suita City, Osaka Prefecture, Japan, in 1980.
Mariko Matsushita began writing numerous poems as her first form of expression in early childhood, to cope with and comprehend sexual violence.
She decided to pursue art, seeking to explore truth and an “external faucet”.
In 2004, she graduated with a degree in oil painting from the Kyoto City University of Arts. 
While working at a factory, she resumed painting. Her body of work including Margarita 7 won the Grand Prix at the 2nd CAFFA 2016 (Contemporary Art Foundation Artist Award).
The next year, during the residency at the Delfina Foundation in London, she interacted with female artists from India, Peru, South Korea, Saudi Arabia and so forth. She later visited Auschwitz and the Red House in the Philippines among others, where she produced paintings.
In 2020, she publicized In the Honest Word of Love, inspired by Svetlana Alexievich, and in 2021, The Human Voice, including Friday, named after J.M. Coetzee’s book, making an important turning point.